ガスライティングの論理

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ガスライティング手法が依拠する論理は、一言で言うと、正当な行為のみを繋ぎ合わせる事によってでも不当行為に依るのと同等の結果を作り出せる、という迷信だ、と言えるだろう。
実際には、不当行為に依るのと同等の結果を作り出す事を目的とした行為は全て不当であるから、ガスライティング手法を擁護する論理は詭弁と成らざるを得ない。
それだけの事に過ぎない、として話を終える事も出来る問題ではあるが、当サイトでは、もう少し具体的に個々の詭弁を論駁して行こう、と思う。

出来るわけが無いから出来る、するわけが無いからする

 ドッキリカメラ批判

 「あなたの知るかもしれない世界」礼賛

された人にしか分からない

 当事者と第三者、正しい判断が出来るのはどちら?

 妄想は嘘よりも希である

 笑い話だと誤認されてしまう

無くても出来れば問題だ

 医学上のセキュリティホール

  精神病はソフトウェア上の不具合だ

 法律上のセキュリティホール

  紛らわしい場合、念のためにどうするか

   強制入院という措置が妥当な場合は極めて限られている

   処罰や入院強制でなければ疑わしいだけでも出来る

  証明責任を負わされた方が圧倒的に不利

   正当防衛は不成立を証明せよ

  正当理由と故意と口実

  禁止の拡大は許可の拡大だ

   安全安心の推進を口実に安全安心を無くす事が狙われている

 トンデモ鑑定が必要だ

本当は被害者の主観が基準であるべきなのか

Aを証明できない事をもって、Aでない事が証明された、とする事は出来ない

 「AならばB」でも「BならばA」とは限らない

 全て逆さまに言えば、つじつまは合う

 Aの許可(禁止)は、Aと同じ属性を持つ全ての行為の許可(禁止)とは異なる

事実が事実と矛盾する事は絶対に無い

 事実が証明によって否定される事は絶対に無い

同一の反応を正反対に解釈するのは悪意の証拠

 病気だから妄想だから病気だ、という論法は循環論法

無視しても防げない被害は、精神的な被害とは言えない

かんざしも逆手に持てば凶器

疑い深い事と、被害妄想が有る事とは別だ

 間違えても被害妄想とは限らない





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